ニューロダイバーシティとウェブアクセシビリティ
近年、アクセシビリティ関連の文脈で、ニューロダイバーシティ (neurodiversity : 神経多様性) という言葉を目にすることが増えたように思います。この概念自体は1990年代から唱えられているものではありますが、私自身にとって最近まで馴染みのある用語ではありませんでした。そこでこの記事では、改めてニューロダイバーシティとは何かについて簡単にまとめつつ、ニューロダイバーシティとウェブアクセシビリティの関係について、考えてみたいと思います。
ニューロダイバーシティとは?
ニューロダイバーシティとは、「脳や神経のはたらきは人によって異なるのが当たり前であり、そうした違いを治すべき異常として捉えるのではなく、多様性 (個性) としてありのままに尊重し、社会として包摂しよう」という考えかたです。障害の「社会モデル」の影響を受けた考えかたで、1999年にオーストラリアの社会学者 Judy Singer 氏によって提唱されました。
一般的には ADHD (注意欠如多動症)、ディスレクシア (読字障害)、計算障害、自閉症スペクトラムなど、認知および学習に障害のある人々が、ニューロダイバーシティとして包摂されるべき主なスコープとされているようです。こうした人々の人口割合はおよそ2割にのぼると言われています。(註)
註 : 「Neurodiversity at work: a biopsychosocial model and the impact on working adults」という2020年のロンドン大学の研究では、ADHD、自閉症、ディスレクシア、および DCD (Developmental Coordination Disorder : 発達性協調運動障害) を神経多様性におけるマイノリティ (neurominorities) と定義していますが、これらに該当する人々は人口比で15〜20%とのことです。ニューロダイバーシティの議論では、このような神経多様性の観点で数的マイノリティとされる人を「neurodivergent な人」と称し、それ以外を (神経学的に) 定型な人という意味で「neurotypical な人」と称しています。divergent と typical の間に優劣はなく、それぞれが多様性を構成する一要素として等しく包摂されるものである、という捉えかたをします。
ウェブアクセシビリティとの関連
W3C 勧告の Web Content Accessibility Guidelines (WCAG) (日本語訳) では、バージョンを重ねるごとに、認知および学習の障害に関する達成基準が拡充されており、その意味ではウェブアクセシビリティにおいても、ニューロダイバーシティの考えかたが着実に反映されるようになってきていると言えます。W3C の WAI (Web Accessibility Initiative) では、cognitive accessibility (認知および学習に障害のある人にとってのアクセシビリティ) について、WCAG の観点で意識すべきことを以下のように整理しています。(参考 : Cognitive Accessibility at W3C)。
- ガイドライン 1.3 Adaptable (適応可能) : 情報や構造を損なうことなく、異なる方法 (たとえば、よりシンプルなレイアウト) で提示できるようコンテンツを制作する。
- ガイドライン 1.4 Distinguishable (判別可能) : ユーザーがコンテンツを見分けたり聞き分けたりしやすいように、前景と背景を明確に分離する。
- ガイドライン 2.2 Enough Time (十分な時間) : コンテンツを読解し利用するのに十分な時間をユーザーに提供する。
- ガイドライン 2.4 Navigable (ナビゲート可能) : ユーザーがサイト内を移動し、コンテンツを見つけ、現在地を把握できるよう支援する。
- ガイドライン 3.1 Readable (判読可能) : テキストコンテンツを読みやすく、理解しやすいものにする。
- ガイドライン 3.2 Predictable (予測可能) : ウェブページの表示および操作を、予測可能なものにする。
- ガイドライン 3.3 Input Assistance (入力支援) : ユーザーが誤りを回避し、修正できるよう支援する。
W3C WAI ではさらに、cognitive accessibility について理解を深めるのに有用な補足ガイダンスとして、以下の文書も公開しています。
- Making Content Usable for People with Cognitive and Learning Disabilities - W3C Working Group Note 29 April 2021 (参考: 当サイトでの解説記事)
- Supplemental Guidance to WCAG 2 の Cognitive Accessibility Guidance のセクション
ニューロダイバーシティとウェブアクセシビリティについて、より入門的に勘所を押さえたい方は、英国政府が公開している啓発ポスターに目を通してみるのもよいでしょう。英語ではありますが、ビジュアルで簡潔に Dos (べき) と Don'ts (べからず) がまとまっているので、まずはこれを見て基本的な理解をしたうえで、W3C の文書で深堀りをしてゆく、というのもおすすめです。
「自閉症スペクトラム」「ディスレクシア」「不安状態」のポスターのオリジナル版 (PDF) は UK Home Office (英国内務省) の GitHub リポジトリ を参照 (日本語訳もあり)。
「計算障害または数を扱うことが苦手」については英国政府 (GOV.UK) の記事「Designing for people with dyscalculia and low numeracy」を参照。
これらのポスターについては、当サイトでも解説記事がありますので、以下も併せてご一読いただければ幸いです。
- 英国内務省 (UK Home Office) によるウェブアクセシビリティの「べき/べからず」ポスター | Accessible & Usable
- 数を扱うのが苦手な人に向けてのデザイン | Accessible & Usable
ニューロダイバーシティをより広く捉える
ニューロダイバーシティとして包摂されるスコープは、主に認知および学習の障害とされていますが、実はもっと幅広く捉えられるのでは?という考えかたもあります。そういった視点も含めて、ニューロダイバーシティを考慮に入れたデザインについて学べるサイトがあります。
このサイトでは、神経多様性の種類の定義 (Neurotype Definitions) として、以下を挙げています。
- ADHD (注意欠如多動症)
- ADD (注意欠陥障害)
- Autism (自閉症)
- Colour Blindness (色覚特性)
- Dyscalculia (計算障害)
- Dyslexia (読字障害)
- Dyspraxia (統合運動障害)
- Executive Functioning (実行機能)
- Highly Sensitive Person (HSP / いわゆる「繊細さん」)
- Irlen Syndrome (アーレン症候群)
- Low Vision (ロービジョン)
- Neurotypical (神経学的に定型)
- Vestibular Disorder (前庭障害)
視知覚の障害であるアーレン症候群、一般的には認知および学習の障害として扱われないロービジョンや色覚特性、さらには医学的な診断名として扱われない HSP も、神経多様性の一種として明示されているのが興味深いです。
このサイトのメインコンテンツは、デザインの原則 (Principles) です。下記の観点で、それぞれに要点、詳細説明、関連する認知心理学などの UX 法則、そして関連する (上で掲げた) 神経多様性の種類がまとめられており、ニューロダイバーシティを考慮に入れたデザインの基本を理解できるようになっています。
- Numbers (数)
- Font (フォント)
- Typography (タイポグラフィ)
- Colour (色)
- Buttons, links and inputs (ボタン、リンク、入力)
- Interface (インターフェース)
- Communications (情報伝達)
- Animations (アニメーション)
ニューロダイバーシティはすべての人の「使いやすさ」につながる
ニューロダイバーシティは、人の脳や神経の特性であることから、身体的な障害 (視覚障害や運動障害など) に比べて存在が「見えにくい」という側面があります。その一方で、脳や神経の情報処理能力は neurotypical も含めて「人それぞれ」であること、かつ日常的に (たとえば、ストレス、疲労、周囲の環境、体調の変化、加齢などによって) 変動しがちであることに着目すると、ニューロダイバーシティを考慮に入れたデザインは、あらゆる人にカーブカット効果をもたらす可能生があるとも言えます。
たとえば、ウェブサイトやアプリケーションを利用していて、以下のようなフラストレーションを経験したことはありませんか?
- 通知の割り込みや、過度なアニメーションが不意に視界に入ってきて、コンテンツへの集中が途切れる。
- レイアウトが複雑で、ウェブページをどう読み進めたらよいかわからなくなる。
- 長い文章が読みにくく、何度か読み返さないと頭に入ってこない。
- UI が予期しない変化をして、わけがわからなくなる。
- 小さなボタンをタップしたり、複雑なジェスチャをする際に、操作ミスをしてしまう。
これらは上から順に、注意欠陥障害、ADHD、ディスレクシア (読字障害)、自閉症、ディスプラクシア (統合運動障害) にとっての困りごとではありますが、同時に、そのように診断されていない人にとっても「あるある」ではないでしょうか。このように、私たちがデジタル環境で日々感じている「いつものイライラ」は、実はニューロダイバーシティの特性と重なる部分が数多くあります。この事実は、ニューロダイバーシティを考慮に入れたデザインが、決して一部の人のための特別なものではなく、すべての人にとっての「使いやすさ」に還元され得ることを示しています。
今後も、神経多様性の種類の定義やそのスペクトラムの捉えかたは、時代とともにアップデートされてゆくことでしょう。加えて、社会の高齢化や、予期せぬ疫病の影響 (記憶に新しいところでは、COVID-19 によるブレインフォグのような) など様々な要因から、neurodivergent に該当する人は増えていくと予想されます。誰もが neurodivergent な人になり得るという前提に立ち、ニューロダイバーシティの考えかたを基本的な価値観として広く共有することが、ウェブをはじめとするデジタル領域のアクセシビリティに取り組むうえでも今後ますます重要になってくると思います。