「情報」と「情報でないもの」
ユーザーはウェブサイトやアプリケーションの利用時、そこにある情報を通じて、自らの目的 (課題を解決したり、楽しんだり、など) を達成することができます。その意味で、情報を、見つけやすく、理解しやすくする設計技術である情報アーキテクチャ (Information Architecture : IA) は、ウェブデザインの要であると言えるでしょう。
ところで、この IA によってユーザーにもたらされる「情報」とは、何でしょうか?「情報」と「情報でないもの」があるとして、その違いは何なのでしょうか?
「情報」を意味する英語の「information」という語は「in + form」の名詞形で、「(人の頭の) 中に形づくられるもの」というニュアンスが含まれています (参考 : inform | Online Etymology Dictionary)。自ら見聞きしたり伝えられたりして知覚したときに、何らかの意味がその人の中で想起され、思考や行動に影響を与え得るものが「情報」であると言えそうです。
DIKW モデル
このあたりの考えかたについて、参考になるフレームワークのひとつが、「DIKW」というモデルです。
Data (データ) → Information (情報) → Knowledge (知識) → Wisdom (知恵)
「データ」(各種の事象) を組み合わせたり編集したりして、価値のあるものとして形作られたものが「情報」になります。ユーザーは「情報」に触れて考えたり行動したりすることで「知識」を得ることができ、ひいてはそれがユーザーの「知恵」になってゆく、というものです。
「知識」と「知恵」の段階を「理解」と捉えると、つまりは、混沌とした「事象」とユーザーの「理解」を橋渡しするのが「情報」である、と言えるのかなと思います。
リチャード・ソウル・ワーマン :「情報」と「無情報」
インフォメーションアーキテクト (情報建築家) の草分けとして知られているリチャード・ソウル・ワーマン (Richard Saul Wurman) 氏は、著書「それは「情報」ではない。— 無情報爆発時代を生き抜くためのコミュニケーション・デザイン」の中で、情報不安症 (information anxiety) について「自分が理解していることと、自分が理解しなければいけないと思いこんでいることとのギャップが、どんどん広がっていくことから引き起こされる (P.24)」と説いており、その原因として「情報」と「情報でないもの」(「無情報」すなわち「データ」) との混同を問題視しています。
(この情報時代は) まさに無情報爆発、つまりデータ爆発の時代となっている。増え続けるデータの猛攻撃から身を守るためには、今すぐ、情報とデータは別物だということを、はっきりと認識しておくことが大切だ。情報とは、理解に結びつく形になったものを指す言葉だ。情報の意味を明確にするには、私たちひとりひとりが独自のものさしを持つことがぜひ必要だ。ある人には情報であっても、別の人には単なるデータに過ぎないかもしれないからだ。意味のわからないものは、情報とは認められない。
出典 : それは「情報」ではない。— 無情報爆発時代を生き抜くためのコミュニケーション・デザイン (P.47)
*強調は筆者
アビー・コバート : 「情報」は主観的な解釈
著名なインフォメーションアーキテクトのひとり、アビー・コバート (Abby Covert) 氏は、著書「今日からはじめる情報設計 — センスメイキングするための7ステップ」の中で、「情報」はあくまでも主観的に解釈されるもの、つまり受け手次第であると説いています。
(情報は) 主観的で、客観的ではありません。人が出会うものごとの配置や順序から、「その人が解釈するすべて」です。
出典 : 今日からはじめる情報設計 — センスメイキングするための7ステップ (P.26)
氏の主張で興味深いのは、「データ」のみならず「コンテンツ」も、「情報」と区別していることです。
情報とデータとコンテンツの違いは判断しづらい事柄ですが、重要なポイントは、コンテンツまたはデータの欠落には、それらが存在する場合と同じくらい多くの「情報が含まれている」ということです。
出典 : 今日からはじめる情報設計 — センスメイキングするための7ステップ (P.27)
上述の DIKW モデルで言うところの「情報」は、氏に言わせると、より細かく「コンテンツ」と「情報」に分けられるのかもしれません。「コンテンツ」として表現されていること (とされていないこと) にユーザー自身のメンタルモデルが掛け合わされ、その人なりのセンスメイキングがなされた解釈の形を「情報」と呼ぶ、という感じでしょうか。
こうした考えかたに改めて触れてみると、情報を設計するとはどういうことか、少しは見えてくるような気がします。混沌として複雑な事象 (データやファクト) をあるがままに受け入れ、それに対してユーザーの目的やコンテキストに合わせて取捨選択や編集を加え、見つけやすく理解しやすいコンテンツとして組み上げてゆくこと、ひいてはユーザーにとって価値ある情報となるよう着実にコミュニケートすること。ウェブにおける情報設計に求められているのは、そうこうことなのだろうと考えています。