スマートウォッチ (Pebble) 利用の個人的総括

以前、「スマートウォッチの UX (Pebble を使っての気づき)」という記事を書きました。Pebble (初期モデル) を日常的に使うことを通じて得られた、いろいろな気づきを記したものです。その後も毎日身に付けては、日々ちょっとした便利さを享受してきましたが、2年間愛用して、ポジティブ/ネガティブ両面でそれなりに累積的 UX が自分の中でまとまってきた感じがします。

Pebble

折しも 2016年12月に Pebble が Fitbit に買収されたことで、今後は新製品のリリースが望めないこと、サポート体制も無くなることから、これを機に個人的にはいったんスマートウォッチから離れてみようと思います。

とても気に入っていたデバイスなので、ハードウェアの寿命まではずっと使い続けるつもりでしたが、度重なるソフトウェアアップデートにハードウェアスペックが追いついてこれなくなったのか、あるいはタフな日常利用によって内部的に接触不良が生じたのか、ここ数ヶ月で画面が「砂嵐」状態になることが増え、だましだまし使い続けてきたもののそろそろ限界かな...という感じです。

以下は、個人的な総括として、スマートウォッチ利用を通じて感じた課題 (敢えてネガティブな側面) を挙げ連ねてみたものです。Pebble に限らず、多くのスマートウォッチにも当てはまる課題かもしれません。先の記事はどちらかと言うとポジティブな (期待感を交えた) 内容でしたが、長期間利用し続けることで逆の側面を実感することも少なくなく、自分にとっては (当初あまり予想していなかった意外な) 学びになったので、書き記しておきたいと思います。

時々ふと疲れてしまう束縛感

スマートウォッチを身に付けて生活すると、わりと小まめに (バッテリーが比較的よく保つとされている Pebble でさえ少なくとも週一回は) バッテリー切れを意識しながら生活することになります。また、スマートフォンとの Bluetooth 接続も時々切れたりします。そのたびに「お守り」(充電したり、バッテリー消費を抑える工夫をしたり、Bluetooth のペアリングをし直したり) が必要になりますが、個々の作業自体はさほど手間ではないものの、「マイナスからゼロに戻す」類の作業は、度重なると気が進まなくなるものです。普通の腕時計で言えば「使える」状態にするために時刻合わせを数日おきにやらされるのに近い感覚で、正直面倒に感じてしまうことも少なくありません。

だからと言って「そんなに面倒なら外せばいいじゃん」と簡単にいかないのが、スマートウォッチの魅力であり厄介なところです。自分の場合、起きているときだけでなく寝ているときも (MorpheuzGentle Wake といったアプリを使ったりして) Pebble を身に着けていたというのもあるかもしれませんが、スマートウォッチによって得られる各種の UX が日々の生活習慣になってしまうと、心理的になかなか外しにくくなったりします (TPO に応じて「今日は違う時計を身に着けよう」という思考にも、ブレーキがかかります)。

お守りの面倒さや UX の生活習慣化は、スマートフォンにも当てはまると言えますが、スマートウォッチの場合デバイスと身体の距離が極めて近い (常にぴったりくっついていて、かつユーザーの視界に入りやすい) ことから、「常にデジタル機器を身にまとっている」と顕在的に意識させられる度合いがスマートフォンよりも格段に大きいと感じます。その意識は、ちょっとしたきっかけで「いつもテクノロジーに束縛されている感」に転じることがあり、時々ふと疲れてしまうのです。

意外にかかるランニングコスト

スマートウォッチのようなデジタル機器には、OS やファームウェアのアップデートがあります。それ自体は当然のことですが、アップデートを重ねるうちにデバイス側のハードウェアスペックが陳腐化してゆく、というジレンマがあります。私の場合、Pebble の初期モデルを使い続けてきたからというのもあるかもしれませんが、第二世代モデルが出てきてそれ用に OS が一新されたあたりから、挙動が重たくなる (描画が操作に追い付かなくなる) ケースがよく見られるようになりました。コストパフォーマンスを重視した低スペックモデルの場合、ユーザーの予想より早く陳腐化が訪れるかもしれません。

結局のところ、継続的に安定した UX を得るためには、相応のランニングコスト (数年ごとの買い換え) をユーザー側は受け入れなければいけないのだろうな、というのが実感ですが、スマートフォンに加えて、さらにランニングコストがかかるデバイスを持ち続けるというのは、(よほどのガジェット好きは別として) 多くの人にとってハードルが高そうだな、と思い至っています。

ところで、先の記事では結びに「スマートウォッチがさらに進化して、スタンドアローンなデバイスになれば (スマートフォンとのペアリングが前提条件でなくなれば)、また違った UX がいろいろ出てくる可能性もあります。」と書きましたが、恐らくそのためにはスマートウォッチ用に SIM を契約する形になり、通信料という別のランニングコストも求められるでしょうから、ますますユーザーは限られそうです。

楽しく利用できる世代は案外限定的かも

私の場合、Pebble の利用期間と、年齢に伴う視力 (ピント調節機能) の低下が偶然重なったこともあり、Pebble の画面がだんだん見にくくなることを実体験しました。スマートウォッチのアプリやウォッチフェイスには様々な情報を盛り込むことができますが、細かな情報が表示されていても、瞬時に読み取ることができなくなるのです。

ディスプレイ解像度の向上やフォントの選択によって多少改善の余地はあるのかもしれませんが、スマートフォンに比べて、絶対的に画面サイズが小さかったり、目とデバイス間の距離調整幅が狭かったり (手首にデバイスが固定されている、無理なく動かせる腕の高さや肘の角度は限られている、など) という物理的な制約がある以上、致し方ないと言えるでしょう。スマートウォッチの UX が GUI に大きく依存している限りは、楽しく利用できる世代というのは案外限られてくるのかも、という気がしています。


これらの課題は、スマートウォッチのスペックがどんなに向上しても解消することが難しい、宿命的な制約と言えそうです。であるならばスマートウォッチは、スマートフォンのような汎用的なデバイスたることを志向するのではなく、ユーザーの身体との関係性 (継続的に、密着していて、鞄やポケットに入ることなく常に手首のところにある) を最大限に活かして、特定のユーザーゴールやコンテキストにおいて「狭く深く」役立つことを目指すのがよいのかもしれません。アクティビティトラッキングやフィットネス用途に特化した Fitbit が、汎用的な Pebble を飲み込んだのは、ある意味、象徴的なのかな、という気がしています。