ユーザーに受け入れられやすい広告はあるのか
ウェブサイトやアプリに表示された広告で苛立ちを感じた経験は、皆さんあるかと思います。ユーザビリティテストなどでユーザー行動観察をしていても、広告に出くわしたときにネガティブな反応を示すユーザーは少なくありません。
一部のニュース系サイトで見られる (本来ユーザーが読みたい記事の手前に立ちはだかる) 全面広告や、ユーザーのスクロール操作に追従してメインコンテンツを読むのを妨げたり誤タップを誘ったりするオーバーレイ広告など、あからさまにユーザビリティを阻害する (ユーザーの目的達成の「有効性」や「効率性」に直接悪影響をもたらす) 類の広告は問題外ですが、「媒体のユーザー体験に合わせた広告 (†)」とされているネイティブ広告ですら、ユーザーにフラストレーションを与えることがあり、なかなか難しい問題だと思います。
† 出典 : 一般社団法人 日本インタラクティブ広告協会 (JIAA)「ネイティブ広告ハンドブック 2017」P.4こうした苛立ちやフラストレーションは、なぜ起こるのでしょうか。ソーシャルメディアのタイムラインなどに出てくるネイティブ広告を例に考えてみると、以下のような理由が挙げられます。
- 自分が興味ない内容の広告や不快な広告が、本来自分の興味ある情報で満たされるはずのコンテンツ (タイムライン) に割り込んできたから。
- 興味ある内容の広告であっても、今はそれとは別の関心をもってコンテンツ (タイムライン) に向き合っているところだから。
- 広告が勝手に割り込んで来たのに、それを回避する操作 (スクロール) は自分でしなければならないから。
- オプトアウト (広告を表示しない、または広告表示を減らす意思表示の操作) をしても、しつこく広告が出てくるから。
総じていうと、ユーザーの主目的に合わない、余計な情報ノイズだから、と言えそうです。たとえ広告コンテンツがユーザーの普段の興味に沿っていたとしても (上記の箇条書きの上から2番目のように) ユーザーが「今はその関心が低い」ことも少なくなく、結果的に邪魔になってしまう恐れがあるのが厄介なところです。また昨今ではスマートフォンがコンテンツ消費デバイスの主流となっていますが、その画面の小ささゆえに広告が視界に入ってくるのを防ぐことが難しく、たとえ広告枠である旨が明示的であっても「目に障る」感が増強されるように思います。
一般的にウェブサイトやアプリにおいては、ユーザーのポスチャーは (テレビなどと比べて) 能動的です。このため、広告からのプッシュによってもたらされるセレンディピティは、もともとユーザーのメンタルモデル (あるいは期待) に含まれておらず、その意味でウェブサイト (アプリ) と広告の相性は元来よいものとは言えないのかもしれません。もっとも将来的には、ユーザーの行為や意図を解析する技術が発達して、ユーザーの「その瞬間の関心事」がより精緻に汲み取られ、ユーザーの興味ある内容の広告を出しゃばらずタイムリーに (ちょうどそれについて関心を持っているときのみに限ってユーザーの文脈にフィットした形で) 提示することも恐らくは可能になるでしょうが、とはいえウェブサイトやアプリで広告表示をデザインする場合は、コンテンツ利用時のユーザーのポスチャー (能動的か受動的か) を十分意識することが大事かなと考えています。
逆に言うと、ユーザーが受動的なポスチャーでコンテンツに接するようなサービスでは、広告に対する抵抗感は案外低いのかもしれません。個人的な経験ですが、Spotify の無料版で時折挿し込まれる広告に対しては、さほど嫌な感じがしませんでした。無料サービスの制約 (スマートフォンにおいては、あたかもラジオのような感じで、再生する楽曲をユーザーが指定できずランダム再生のみが可能) を理解したうえで受け身な態度で音楽を聴き流しているから、だと思います。もちろん、ユーザーのポスチャーが能動的なサービスであっても、それを無料で享受できることのトレードオフとして広告の表示を甘受しなければならないという側面はあるかもしれませんし、サービスのサステナビリティの側面から、マネタイズを広告に依存せざるを得ない状況もあるかもしれません。その場合であっても、上記に挙げたユーザーのフラストレーションの可能性は理解して、なるべくユーザーの心地よさを妨げないような配慮を考えたいところです。