トラウマインフォームドデザイン (trauma-informed design)
ここ数年、海外のウェブアクセシビリティ関連のイベントで「trauma-informed design」をテーマにしたセッションを見かけるようになりました。
初めて見たのは、私も登壇した2022年の Inclusive Design 24 (#id24) というウェビナーイベントで、その後も2023年、2024年と続けて、このテーマのセッションがありました。以下、セッションのアーカイブ動画を見ることができます。
- Melissa Eggleston / Trauma-informed Website Design #id24 2022 - YouTube
- Zariah Cameron / Trauma-Informed UX Research #id24 2023 - YouTube
- Erika Menczigar / Trauma-informed Design: An Overlooked Aspect of Inclusive Design #id24 2024 - YouTube
人々の抱えるトラウマを起点としてデザインを考える、という視点が興味深く、Inclusive Design 24 (#id24) ではこれらのセッションを意識的に聴講しましたが、なるほどと思うところはありつつも、正直わかったようなわからないような感覚が拭えませんでした。「trauma-informed」という英語表現の意味するところや、ウェブアクセシビリティの文脈でトラウマを考慮に入れることの重要性や意義など、自分自身の中で咀嚼しきれていないという課題意識もあり、改めて自分なりにまとめてみようと思いました。この記事では、現時点での学び (まだまだ浅い理解ではありますが) を皆さんと共有できればと思います。
トラウマとは?
そもそもトラウマとは何でしょうか?よく「心的外傷」(あるいは「心の傷」) と表現されるのを目にしますが、厳密な定義をウェブ上で検索してみると、サイトごとに微妙に表現が異なる感じです。そこで辞書的に trauma という英単語の意味を調べてみました。
severe and lasting emotional shock and pain caused by an extremely upsetting experience, or a case of such shock happening:
出典 : TRAUMA | English meaning - Cambridge Dictionary
(極めて動揺を招く体験によって引き起こされる深刻かつ持続的な精神的ショックおよび苦痛、あるいはそうしたショックが生じる状況。)
サイトの定義によっては、トラウマの原因を「生命の危機に関わるような」体験としているところもありますが、必ずしも「生命の危機」とは言えないレベルであっても、当人にとって心身の安全を脅かされるほどの恐ろしい体験であって、それが心の処理能力を超えてしまい、傷が癒えないまま残っているのであれば、それはトラウマと言えるのかな、と私自身は捉えています。
そしてこのトラウマですが、世界保健機関 (WHO) の2016年の「世界精神保健調査 (World Mental Health Survey)」によると、世界24カ国の成人 (約6.9万人) を対象とした調査で、70%以上の人が生涯に一度はトラウマを経験していることが示されており (参考 : The epidemiology of traumatic event exposure worldwide: results from the World Mental Health Survey Consortium - PubMed)、日本でもその割合は60%となっています (参考 : 同調査のサマリーを示す世界地図)。つまり、トラウマは特別な人だけに起こるものではなく、多くの人が人生のどこかで直面する、珍しくない症状であると言えそうです。
トラウマのやっかいなところは、当人のその後の人生において、物事の認知や感情の動きに影響しやすいところです。日常生活や業務のふとした拍子に、たとえばウェブサイトで何らかの手続きや作業をしていて想定外のトラブルに直面したりコントロール感を失ってしまったりしたときなどに、無意識に過度な不安感に襲われて落ち着いて対処できなくなった、という経験はないでしょうか?あるいは、ウェブサイトの表現 (ビジュアルや言語など) を介して、自身のつらい記憶や恐怖心が呼び起こされて苦しくなってしまった、ということはないでしょうか?
ウェブにおける trauma-informed design
まず、trauma-informed という用語が聞き慣れないものですが、直訳すると「トラウマがあることを知らされている」という感じでしょうか。上述の通りトラウマは多くの人にとって珍しくないものですが、それが人々の認知や感情に少なからず影響を与えることを理解していること、ということになるかと思います。
そのうえで trauma-informed design を定義すると、人々が抱えるトラウマによる影響の可能性を十分に認識し、意図せず人々を「再トラウマ化 (re-traumatization)」しないようにデザインすること、と言えるでしょう。これはウェブサイトやアプリケーションなどデジタル分野だけの話ではもちろんなく、もともとは、教育、医療、福祉、行政などの分野で展開されている trauma-informed care (トラウマインフォームドケア) の考えかたをデザインに応用したもの、のようです。米国の Trauma-informed Design Society のウェブサイトには、以下の説明があります。
Trauma-informed design (TiD) is about integrating the principles of trauma-informed care, as originally established by the Substance Abuse and Mental Health Services Administration (SAMHSA) and continually evolving, into design.
(trauma-informed design とは、SAMHSA によって確立され、現在も進化を続ける trauma-informed care の原則を、デザインに統合することです。)
SAMHSA (Substance Abuse and Mental Health Services Administration : 薬物乱用・精神衛生サービス局) とは米国保健福祉省 (Department of Health and Human Services) の部局の一つですが、そこが提唱する trauma-informed care の原則が、デザインにも適用されるというのが基本的な考えかたのようです。本記事の冒頭で紹介した Inclusive Design 24 (#id24) の各セッションでもこの原則が引用されていたりします。
trauma-informed care の原則は、以下の6つから成ります。ウェブサイトやアプリケーションのデザインに適用した場合、これらの原則はどう説明できるか、また例としてどんな実装が各原則に該当するかも併せて記述してみました。
- 安全 (Safety)
-
ユーザーの身体的および心理的な安全を確保する。
例 :
- 突然の音や視覚効果でユーザーを驚かせない。
- 不安を誘発するような刺激の強い配色やビジュアル表現をユーザーに強要しない。
- ユーザーの意識 (集中) を阻害するような演出効果を避ける。
- 信頼性と透明性 (Trustworthiness and Transparency)
-
ユーザーがシステムを信頼して利用できるよう、操作とその結果や一連のプロセスを予測可能にする (ユーザーを欺かない)。
例 :
- 一般的なメンタルモデルに合わせた UI にする。
- 次に何が起こるかを明示的にする (必要に応じて説明をする)。
- 欺瞞的なデザイン (いわゆるダークパターン) を避ける。
- ピアサポート (Peer Support)
-
ユーザーを孤立させないよう十分なサポートを設ける。
例 :
- 個々のユーザーに寄り添い必要に応じて合理的調整を行なうための、サポート窓口を設ける。
- 協働と相互性 (Collaboration and Mutuality)
-
ユーザーとウェブサイトとの間の力関係を不均衡にしない (ウェブサイトはユーザーのパートナーとして振る舞う)。
例 :
- 高圧的なメッセージを用いない (エラーメッセージの表現など)。
- ユーザーの目線に立ち、ユーザーにとって理解しやすい表現にする。
- 情報量や作業の複雑さなどで、ユーザーを圧倒しない。
- 必要以上にセンシティブな情報の入力を強要しない。
- エンパワメント、意思表明、選択 (Empowerment, Voice, and Choice)
-
ユーザーに選択と制御の主導権を持たせ、自ら目的を達成できるようにする。
例 :
- 見つけやすく使いやすいナビゲーションシステムを提供する。
- 利用方法の多様性を尊重する (支援技術、キーボード操作、音声による操作など、様々な手段で等しく利用可能にする)。
- 急かさない。時間制限の延長、無効化、操作のやり直しなどを可能にし、認知的重圧を軽減する。
- ある状態に「はまらない」ように (脱出できるように) する。
- 文化的、歴史的、ジェンダーに関する配慮 (Cultural, Historical, and Gender Issues)
-
ユーザーの多様なバックグラウンドを考慮に入れ、偏見を避ける。
例 :
- 偏見や差別につながるような言語表現、非言語表現を避ける。
このように列挙してみると、trauma-informed design はウェブアクセシビリティとの親和性が高い印象を受けるかもしれません。trauma-informed design を「トラウマという障害がある人にとってもアクセシブルなデザイン」と解釈することもできるかと思いますので、その意味ではさもありなんという気がします。
インクルーシブデザインとして取り組む
上記では trauma-informed care の原則をもとにウェブサイトやアプリケーションにおける trauma-informed design の実装例を挙げてみましたが、これはしかしながら、そこに書かれていることがクリアできていれば OK という「チェックリスト」たり得ないことに留意する必要があります。というのもトラウマは「人それぞれ」であり、各々に当人しかわからない苦しさがあるからです。一般的に問題なさそうに見えるデザインであっても、ある人にとっては深刻な「再トラウマ化」のきっかけになることもあります。たとえば、父の日や母の日のプロモーションメールが送りつけられることでつらい気持ちがよみがえる人もいれば、セキュリティ質問で「子供時代のニックネームは?」と聞かれることで過去のいじめの経験を思い出してしまう人もいるでしょう。一律的なデザインでは解決できないこともあり、その場合は適切なタイミングで事前のオプトインを提供するなど、次善策も検討したいところです。
個人的に trauma-informed design の考えかたに触れたときに感じたのは、これはむしろ UX デザイン、あるいは (当事者との共創という意味での) インクルーシブデザインの一環として取り組むものではないかということです。もともと trauma-informed care はそうしたアプローチですし、本記事の冒頭で紹介した海外のイベントのセッションでも、ユーザーリサーチを主要なトピックに据えているものがあったりします。従来の UX デザインは、どちらかというと「よいユーザー体験」をブーストすることに主眼を置いていると思いますが、よりインクルーシブな観点で「苦しい (つらい) ユーザー体験」をなくすアプローチも加える、というイメージです。
なお実際に trauma-informed design をリサーチドリブンで進めるにあたっては、ユーザーリサーチに伴う注意事項も、共有すべき知見として重要になってくると思います。たとえば、以下のようなものが考えられるでしょう。
- リサーチ中の参加者 (ユーザー) の「再トラウマ化」の予防。ある事柄に対して「答えない自由」「距離を置く自由」 「途中退室の自由」を保証する、など。
- (特に精神的負荷が高いテーマにおける) 心理士や支援者の同席。
- リサーチ担当者に対するケア。インタビューを通じて代理トラウマ (vicarious trauma) を経験するリスクに備えて、組織としてデブリーフィングやセルフケアのサポート体制を整える。
- などなど...
こうして見ると、trauma-informed design には、基礎として実装すべきことと、よりユーザー体験に寄り添ってインクルーシブに取り組むべきことの二つのレイヤーがあると言えそうです。いずれにおいても、ユーザー (その多くは当たり前にトラウマを抱えている可能性がある) の苦しみに誠実に向き合うこと、その向き合いを通じて「再トラウマ化」の芽を摘む改善を継続的に回すことが、肝要になってくるでしょう。トラウマが多くの人にとって珍しくないことを踏まえると、ウェブアクセシビリティに取り組む中でも、このあたりは併せて意識してゆきたいと思います。