悲劇的なデザイン
「悲劇的なデザイン — あなたのデザインが誰かを傷つけたかもしれないと考えたことはありますか?」を読みました。
デザインがもたらす可能性がある負の側面 (デザインは人を殺す、デザインは怒りをあおる、デザインは悲しみを呼ぶ、デザインは疎外感を与える) に焦点を当て、こうしたリスクはどうしたら避けられるのかを説く本です。個人的には、10年以上前に感銘を受けた 37signals の書籍「ディフェンシブ・ウェブデザインの技術 —「うまくいかないとき」に備えたデザイン、「上手に」間違えるためのデザイン 」的な立ち位置で、それに代わる書籍かな...という興味で本書を読み進めましたが、より俯瞰的な内容で、またアクセシビリティやインクルーシブデザインへの言及も多く盛り込まれていることも含めて、とても好感が持てました。
この記事では、本書を読んで得た学びや感じたことを 、メモとして (引用というよりは私自身の解釈が混じった形ですが) 箇条書きにまとめます。
- 重大なミスの責任を、ユーザーに押し付けるのはよくない。ユーザーに起因する問題は「スイスチーズモデル」のいくつもある層のたった一層に過ぎない。他の層、つまりデザインそのものも、責任を担うべき。
- クリエーター第一やスポンサー第一になっていないか?ユーザー第一で考えよう。
- バッドデザインは、人を傷つけ、怒りをあおり、悲しませ、疎外感を与える。
- ユーザーはうまくいかないと、自責の念や屈辱感に苛まれることも。デザインの責任は想像以上に重い。
- データを共感につなげる。ユーザーの感情を「ブルチックの輪」を用いてプロットするのも一考。
- モードは危険。類似した UI 部品がモードによって違う意味になっていると、誤認識や誤操作につながる。代わりに、クオシモードを使いたい (ユーザーがある物理的な操作をし続けないと、その状況を維持できないようにする)。クオシモードが使えない (使うのが適切でない) 場合は、色、光、音、触覚、などできるだけ多くのフィードバックを提供する。
- ユーザー像を、自分たちにとって都合よく想定していないか?「ユーザー」という大雑把な捉えかたをして、常に希望に満ちている「ユーザー」に向けてデザインしていないか?ユーザーの「Dribbble」化に陥っていないか?
- ペルソナの想定から外れたユーザーはいる。そうした人もすべてインクルージョンの対象として捉え、「すべてのユーザーに対して、不幸な体験をさせない」ことが大事。
- よかれとおもった機能やサービスも、それを機械的に提供する (ユーザーのコンテキストへの配慮を欠く) ことで、ユーザーを不幸にすることがある。
- 失礼なテクノロジー。体験中の割り込み、勝手な振る舞い、いざ使ってみるとかえって手間がかかる、など。
- ダークパターン。ユーザーをだます UI。
- 疎外感。アクセシビリティを担保することで救われるユーザーがいる。
- アクセシビリティは、仮にビジネス面で理に適ったことではなくても、単純に「人として正しい」。
- ユーザーの多様性を受け入れ、インクルーシブにデザインしよう。