盲ろう (deafblind) のユーザーへの情報保障としての「説明的なトランスクリプト (descriptive transcript)」
IAAP (International Association of Accessibility Professionals) のポッドキャストをサブスクライブしていて、少し前になりますが、下記のエピソードを聴く機会がありました (リンク先に、ポッドキャストの音声およびトランスクリプトがあります)。
人権弁護士 (human rights lawyer) であり、盲ろう者 (deafblind person) でもある Haben Girma 氏へのインタビューで、盲ろう、つまり「見えない / 見えにくい」と「聞こえない / 聞こえにくい」の特性を併せ持つ人々に向けての動画コンテンツの情報保障として、「説明的なトランスクリプト (descriptive transcript)」を提言されていました。
この「説明的なトランスクリプト」ですが、内容的には聴覚障害者向けの情報保障である「キャプション (登場人物の発話や演出上の効果音といった音声情報を文字化した字幕)」と視覚障害者向けの情報保障である「音声解説 (登場人物の動きや演出上の視覚効果を言語化したナレーション)」を足し合わせたもので、それを書き起こしテキストとしてまとめたものです。
テキストなので、点字にも変換できるのが特長です。視覚的にも聴覚的にも情報を取得することが難しく、触覚に大きく依存する盲ろうのユーザーにとっては、動画コンテンツを利用するための唯一の情報保障と言えます。
WCAG における「説明的なトランスクリプト」の位置付け
現行の WCAG (Web Content Accessibility Guidelines) 2.2 では、動画コンテンツの情報保障として、以下が求められています。
- 視覚に障害があるユーザーに向けての情報保障
-
- 映像のみのメディアの場合 :
映像と同等の代替コンテンツ、または音声トラック (参考 : 達成基準 1.2.1 音声のみ及び映像のみ (収録済)) - 同期したメディア (映像+音声) の場合 :
映像と同等の代替コンテンツ、または音声解説 (参考 : 達成基準 1.2.3 音声解説、又はメディアに対する代替 (収録済))
- 映像のみのメディアの場合 :
- 聴覚に障害があるユーザーに向けての情報保障
-
- 同期したメディア (映像+音声) の場合 :
音声の代替としてのキャプション (参考 : 達成基準 1.2.2 キャプション (収録済))
- 同期したメディア (映像+音声) の場合 :
WCAG の達成基準を読むと、視覚障害、聴覚障害、それぞれのユーザーに向けて情報保障を提供すればよく、これらの障害を併せ持つ盲ろうのユーザーに向けての情報保証までは必須要件ではないように見えるかもしれません。実際、同期したメディア (映像+音声) に対しては、キャプション (聴覚障害者向け) と音声解説 (視覚障害者向け) が用意されていれば、WCAG の達成基準を満たしていると解釈されています。
では、WCAG では盲ろうのユーザーに向けての情報保障 (説明的なトランスクリプト) がまったく言及されていないのかというと、そんなことはありません。達成基準 1.2.1 および達成基準 1.2.3 を満たす手段の一つとして「時間依存メディアに対する代替コンテンツ」が挙げられており、下記のとおり定義されています。
出典 : Web Content Accessibility Guidelines (WCAG) 2.2 (日本語訳)「6. 用語集」の「時間依存メディアに対する代替コンテンツ (alternative for time-based media)」
- 時間依存メディアに対する代替コンテンツ (alternative for time-based media)
時間依存の視覚的及び聴覚的情報を正しい順序で説明したテキストを含み、あらゆる時間依存のインタラクションによる結果を得る手段を提供している文書。
用語の定義を読むと、「視覚的及び聴覚的情報」とあります。つまり「時間依存メディアに対する代替コンテンツ」とは映像 (視覚的情報) と音声 (聴覚的情報) の両方の代替コンテンツであり、この記事のトピックである「説明的なトランスクリプト」に該当すると解釈できます。
ちなみに、W3C の Web Accessibility Initiative (WAI) のサイトでも、トランスクリプトの説明ページにおいて、冒頭のサマリーで「説明的なトランスクリプト」についての言及があります。
Basic transcripts are a text version of the speech and non-speech audio information needed to understand the content. Descriptive transcripts also include text description of the visual information needed to understand the content. Descriptive transcripts are required to provide video content to people who are both Deaf and blind.
出典 : Transcripts | Web Accessibility Initiative (WAI) | W3C
(基本のトランスクリプトは、コンテンツを理解するために必要な発話および発話以外の音声情報をテキスト化したものです。説明的なトランスクリプトには、コンテンツを理解するために必要な視覚的情報のテキスト記述も含まれます。説明的なトランスクリプトは、盲ろうの人々に動画コンテンツを提供するために必要です。)
「説明的なトランスクリプト」の制作と実装
「説明的なトランスクリプト」の制作ですが、動画コンテンツにキャプションを付けていれば、そのキャプションの元原稿を流用して、さほど手間をかけずに用意することができます。キャプションの元原稿には、登場人物の発話などがテキストとして書き起こされているので、そこにナレーションを加えるようなイメージで、映像による視覚的情報を説明する文を追記します。たとえば、シーンの場所やシチュエーション、シーンに誰がいるか、シーンで何が起こっているか、などです。
制作した「説明的なトランスクリプト」の実装ですが、動画コンテンツが埋め込まれたウェブページにおいて、動画の直下にリンクを設けて別ページで開かせてもよいですし、あるいは動画の直下に折りたたみ / 展開の UI コンポーネントを置いて、ユーザーの任意で展開表示させてもよいでしょう。いずれの実装を採用するにしても、動画コンテンツと「説明的なトランスクリプト」にアクセスするための UI コンポーネントを、aria-details
を用いて紐づけておきます。
「説明的なトランスクリプト」に取り組んでみる
「説明的なトランスクリプト」は、テキストを書き起こすだけで作ることができ (音声解説のように、録音機材やスタジオ環境を用意してナレーションを収録し、動画に組み込むといった作業は不要)、またスクリーンリーダーを介して音声読み上げだけでなく点字出力も可能なので、より少ない制作コストで、幅広いユーザー (視覚と聴覚の障害を併せ持つ人々を含む) を支援することができます。音声解説の制作に二の足を踏んでいる組織でも「説明的なトランスクリプト」であれば比較的、取り組みやすいのではないでしょうか。
もちろん視覚障害を持つユーザーにとっては、音声解説のほうが優れたユーザー体験ではあります (動画の再生に合わせてリアルタイムに解説を取得して楽しむことができるからです)。その場合でもまずは「説明的なトランスクリプト」を提供することから始めることで、音声解説も作りやすくなると思います。「説明的なトランスクリプト」があればナレーション収録の元原稿に流用できますし、より簡単に、元原稿のテキストをスクリーンリーダーで読み上げさせて録音する、という手法も使えます。
いずれにしても、盲ろうのユーザーにとっては唯一の情報保障であるということを考慮にいれると、「説明的なトランスクリプト」の提供は WCAG の必須要件ではないものの、積極的に取り組む意義があると考えます。